九谷焼と古九谷の違い|6項目で比較
情報の確認日 2026年9月15日編集部
古九谷は、九谷焼のなかで最も早く江戸時代前期に焼かれた色絵磁器を指す言葉です[1]。石川県立美術館は、大聖寺藩の命で明暦元年(1655)頃に開窯したと説明しています[1]。一方、有田の窯跡から古九谷様式の色絵片が出土し、戸栗美術館は有田説が有力視されていると書いています[5]。
| 比較軸 | 九谷焼 | 古九谷 | 例外・注意 | 根拠 |
|---|---|---|---|---|
| 指す範囲 | 江戸時代から現在まで、加賀南部地方を中心に焼かれている焼物 | 九谷焼のうち、最も早く江戸時代前期に焼かれた色絵磁器 | 古九谷は九谷焼の一部を指す言葉 | [1] |
| 年代 | 江戸時代から現在まで | 明暦元年(1655)頃に開窯し約50年程度。17世紀中ごろから18世紀はじめとも説明される | 石川県九谷焼美術館は、開窯の年は正確にはわからず、少なくとも明暦元年には存在と説明 | [1][2][4] |
| 作られた場所 | 石川県の加賀南部地方が中心 | 石川県側の資料は大聖寺藩内の九谷で生産が始まったとする | 有田の窯跡から古九谷様式の色絵片が出土し、有田説が有力視されるとする資料もある。両説を併記 | [1][3][5][6] |
| 様式と色 | 九谷五彩は黄・緑・紫の3色に、紺青と赤を補彩として使う | 器全面を塗り埋める青手と、白素地を生かす色絵の二つの様式 | 青手は五彩のうち赤を除いた二彩または三彩 | [1][2] |
| 途絶と再興 | 古九谷の後に、春日山窯・吉田屋窯などの再興九谷と呼ばれる窯が開かれた | 約50〜60年の活動後に生産を終了 | 活動期間は「約五十年間程度」と「50〜60年」で資料により表現が異なる | [1][2][4] |
| 呼び名の使われ方 | 現在まで続く焼物の名前 | 美術館の展示で江戸時代の作品を指す名前。「古九谷様式」は1985年の展覧会で初めて使われた様式名 | 「古九谷」と「古九谷様式」は同じ意味とは限らない | [1][2][5] |
このページで確認できること
- 「古九谷」と書かれた器を見たときに確かめること
- 九谷焼と古九谷が、それぞれどの時代の何を指す言葉か
- 古九谷の産地についての九谷説と有田説を、資料ごとに並べた結果
- 青手と色絵の違いと、古九谷のあとに続く再興九谷の窯
九谷焼と古九谷は何が違う?古九谷は九谷焼の最初期の色絵磁器
九谷焼は江戸時代から現在まで石川県で焼かれる焼物の名前で、古九谷はそのうち最も早い江戸時代前期の色絵磁器を指します[1]。
石川県立美術館の用語解説は、江戸時代から現在まで加賀南部地方を中心に焼かれている焼物を九谷焼とし、そのなかで最も早く江戸時代前期に焼かれた色絵磁器を古九谷としています[1]。同館は古九谷を、伊万里焼、京焼とともに日本の三大色絵として評価されてきたと説明しています[1]。
同館によると、古九谷は加賀藩の支藩である大聖寺藩の命を受けた後藤才次郎によって、明暦元年(1655)頃に開窯されました[1]。生産はその後約五十年間程度と考えられています[1]。同館の展覧会案内は、17世紀中ごろから18世紀はじめに焼かれた九谷焼を古九谷と称するとしています[2]。
加賀市の石川県九谷焼美術館は、古九谷を少なくとも明暦元(1655)年には存在していた磁器とし、開窯の年は正確にはわからないと書いています[4]。同館は、古九谷の窯は少なくとも50〜60年の活動後に生産を終了したとしています[4]。
古九谷はどこで作られた?九谷説と有田説を資料ごとに整理
石川県の資料は大聖寺藩内の九谷で生産が始まったとし[3]、戸栗美術館は有田の窯跡の出土品から有田説が有力視されていると書いています[5]。このページでは両説を併記します。
石川県の文化財解説は、古九谷を大聖寺藩内の山中町九谷で明暦元年(1655)頃に生産が開始されたと言われる器と説明しています[3]。石川県立美術館も、大聖寺藩の命による開窯としています[1]。
戸栗美術館は、昭和20年代に古九谷は有田で作られたのではないかという説が現れ、有田産か九谷産かをめぐって激しい論争が起きたと書いています[5]。同館は、有田町西部の山辺田窯跡や丸尾窯跡など複数の窯跡から、古九谷様式の白磁素地と色絵磁器片が出土していると説明しています[5]。
有田町歴史民俗資料館は、山辺田窯跡を1600〜1650年代ごろに操業し、古九谷様式の色絵大皿の素地を量産した窯場として知られると紹介しています[6]。山辺田窯跡は1980年3月24日に国の史跡に指定されています[6]。
戸栗美術館は有田説が有力視されているとしつつ、17世紀中期に九谷の地でも色絵磁器が製造されていたのではないかとも書いています[5]。コトバンク掲載の日本大百科全書は、現段階では伊万里焼である可能性が濃いとしています[7]。どの説が正しいかは、このページでは判断しません。
| 資料 | 産地・始まりについての書き方 | 根拠 |
|---|---|---|
| 石川県立美術館 用語解説 | 大聖寺藩の命を受けた後藤才次郎が明暦元年(1655)頃に開窯 | [1] |
| 石川県 文化財解説 | 大聖寺藩内の山中町九谷で明暦元年頃に生産が開始されたと言われる | [3] |
| 石川県九谷焼美術館(加賀市) | 少なくとも明暦元年には存在。開窯の年は正確にはわからない | [4] |
| 戸栗美術館 | 有田の複数の窯跡から出土し有田説が有力視。九谷でも色絵磁器が作られていたのではないか | [5] |
| 有田町歴史民俗資料館 | 山辺田窯跡は古九谷様式の色絵大皿の素地を量産した窯場 | [6] |
| 日本大百科全書(コトバンク) | 現段階では伊万里焼である可能性が濃い | [7] |
古九谷の青手と色絵はどう違う?九谷五彩との関係
石川県立美術館は、器全面を塗り埋める青手古九谷と、白素地を生かして彩色する色絵古九谷の二つの様式があると説明しています[1]。
同館の用語解説によると、青手古九谷は五彩のうち赤を除いた二彩もしくは三彩で、器全面を塗り埋めて彩色したものです[1]。石川県の文化財解説は、初期の素地が粗雑だったため、緑や黄の絵具で素地全面を覆い隠す方法として青手が生まれたと説明しています[3]。
石川県立美術館の展覧会案内は、九谷焼は九谷五彩といわれるように、黄・緑・紫の3色と、紺青と赤の2色を補彩として用いることが特徴だとしています[2]。青手が赤を使わない点は、この五彩との比べ方で分かります[1]。
青手の実例として、石川県指定文化財の古九谷青手桜花散文平鉢があります[3]。平成17年3月25日に指定され、口径45.3cm、底径22.5cm、高さ9.3cmで、石川県立美術館が所有しています[3]。
古九谷のあと九谷焼はどう続いた?再興九谷の窯
古九谷の窯は約50〜60年の活動後に生産を終え[4]、のちに春日山窯や吉田屋窯などの再興九谷と呼ばれる窯が開かれました[2]。
石川県立美術館の展覧会案内は、再興九谷と称される窯として、春日山窯・民山窯・吉田屋窯・若杉窯・宮本窯を挙げています[2]。同館はそれぞれ特徴のある作品を紹介するとしており、窯ごとに作風が異なることがうかがえます[2]。
石川県九谷焼美術館は、吉田屋窯を文政7年(1824)、松山窯を嘉永元年(1848)の窯として紹介しています[4]。現在の九谷焼の産地・窯元・陶器市の情報は、九谷焼の産地ページで扱います。
「古九谷」と「古九谷様式」は同じ意味?
同じとは限りません。戸栗美術館は、古九谷様式を色絵の一様式として捉える名前で、昭和60年(1985)の展覧会で初めて使われたと説明しています[5]。
戸栗美術館によると、古九谷様式という言葉は、昭和60年(1985)に東京国立博物館で開かれた展覧会「日本の陶磁」で初めて使われました[5]。産地を決めずに、色絵の一つの様式として呼ぶための名前と読めます。
石川県側の資料では、古九谷を九谷焼の最初期の色絵磁器として説明しています[1][2]。器や展示の説明で「古九谷」と「古九谷様式」のどちらが使われているかを見ると、どの立場で書かれているかの手がかりになります。販売される器が江戸時代の作品か現代の作品かは、販売元の説明の根拠を確認します。
九谷焼と古九谷、どう使い分ける?
買って使う器を探すなら九谷焼、江戸時代前期の色絵磁器を見たいなら古九谷です。古九谷は展示や研究で使われる言葉で[1]、産地には説が分かれています[5]。
古九谷は、九谷焼のなかで最も早く江戸時代前期に焼かれた色絵磁器を指す言葉です[1]。石川県立美術館は、明暦元年(1655)頃の開窯から生産は約五十年間程度と説明しています[1]。古九谷は、いま作られている器を指す言葉ではありません。
現在の器を探すときの言葉は九谷焼です。石川県立美術館の用語解説は、九谷焼を江戸時代から現在まで加賀南部地方を中心に焼かれている焼物としています[1]。古九谷のあとには、春日山窯や吉田屋窯などの再興九谷と呼ばれる窯が続きました[2]。
「古九谷」と書かれた現代の器は、古九谷の様式にならったものである場合があります。戸栗美術館は、色絵の一様式を指す「古九谷様式」が昭和60年(1985)の展覧会で初めて使われた言葉だと説明しています[5]。江戸時代の作品か現代の作品かは、販売元や所蔵館の説明で確かめます。
産地の表記も、どの立場で書かれているかで変わります。石川県の資料は大聖寺藩内の山中町九谷での生産開始としており[3]、戸栗美術館は有田の窯跡の出土から有田説が有力視されると書いています[5]。説明を読むときは、どちらの説に立った記述かを見ます。
よくある質問
出典
- 1用語解説 古九谷石川県立美術館・2026年9月15日確認
- 2古九谷・再興九谷(2025年7月5日〜8月17日)石川県立美術館・2026年9月15日確認
- 3古九谷青手桜花散文平鉢(県指定文化財)石川県・2026年9月15日確認
- 4九谷焼とは石川県九谷焼美術館(加賀市)・2026年9月15日確認
- 5学芸の小部屋 第5回:古九谷様式戸栗美術館・2026年9月15日確認
- 6有田の文化財(14) 山辺田窯跡有田町(有田町歴史民俗資料館)・2026年9月15日確認
- 7古九谷コトバンク(デジタル大辞泉・日本大百科全書(ニッポニカ)ほか)・2026年9月15日確認
確認できていないこと
- 古九谷の産地:石川県立美術館・石川県は大聖寺藩内の九谷での開窯とし、戸栗美術館は有田説が有力視されるとし、日本大百科全書は伊万里焼の可能性が濃いとする。結論を保留し両説を併記
- 古九谷の開窯年と活動期間:石川県立美術館は明暦元年頃開窯・約五十年間程度、石川県九谷焼美術館は開窯年不明(少なくとも明暦元年には存在)・50〜60年と表現が異なる
- 春日山窯など、吉田屋窯・松山窯以外の再興九谷の窯の開窯年は今回確認していない
- 日本大百科全書(コトバンク)の「伊万里焼である可能性が濃い」は執筆時点の記述で、執筆年は未確認
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