肥前吉田焼とは|特徴・器の種類・窯元
情報の確認日 2026年9月15日編集部
肥前吉田焼は佐賀県嬉野市吉田地区の磁器で、組合は飯碗・湯のみ・そば猪口・急須・土瓶を代表的な製品に挙げています[1][7]。始まりは嬉野市が天正5年(1577年)、組合が慶長3年(1598年)と説明しており、資料で異なります[5][1]。国の伝統的工芸品の指定は、今回の資料では確認していません。
| くらべる点 | 特徴 | 例外・製品による違い | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 焼き物の種類 | 磁器の産地として説明されている | 個々の製品の素材は製品の表示で確認する | [6][7] |
| 始まり | 嬉野市は天正5年(1577年)の磁鉱石の発見、組合は慶長3年(1598年)に鍋島直茂が朝鮮陶工を吉田へ送ったことを挙げる | 資料で年が異なり、このページでは一方に決めていない | [5][1] |
| 代表的な製品 | 飯碗・湯のみ・そば猪口・急須・土瓶。水玉模様の急須や湯のみは代表的な商品のひとつ | 窯元ごとに製品は異なる。デザインコンペから商品化した製品もある | [1][8] |
| 茶器との関係 | 戦後は特産の嬉野茶を生かした茶器の製造が多いと組合が説明 | 茶器以外に皿・鍋なども作られている | [1][7] |
| 製造工程 | 原型から石膏型を作り、機械ろくろや鋳込みで成形。素焼き900〜920℃、本焼成1300℃ | 上絵のある製品は800℃前後で上絵を焼く工程が加わる | [2] |
| 分業 | 陶土屋・型屋・生地屋・窯元のほか、上絵付けや茶こしなどのパーツを作る職人がかかわる | 窯元ごとの工程の分担は未確認 | [2] |
| 窯元の数 | 嬉野市は15の窯元と説明 | 何年時点の数かは未確認 | [5] |
このページで確認できること
- 肥前吉田焼の始まりの年と、資料による書き方の違い
- 代表的な製品と、型を使う製造工程・分業
- 肥前吉田焼窯元会館と窯元の公式情報
肥前吉田焼はどこの焼き物?
佐賀県嬉野市の吉田地区で作られる磁器です。組合が運営する肥前吉田焼窯元会館は、嬉野市嬉野町大字吉田にあります[3][7]。
肥前吉田焼窯元協同組合が運営する肥前吉田焼窯元会館は、佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁にあります[3]。与山窯は自らの所在地を、佐賀県嬉野市に位置する「肥前吉田」と紹介しています[7]。
与山窯は肥前吉田を、400年以上の歴史を持つ磁器の産地と説明しています[7]。佐賀県の観光サイトも、肥前吉田焼を磁器として紹介しています[6]。嬉野市によると、現在の肥前吉田焼は15の窯元によって作られています[5]。
同じ観光サイトは、1700年頃から隣接する志田地区で志田焼が始まったと紹介しています[6]。志田焼は肥前吉田焼とは別の名前で扱われています。このページでは肥前吉田焼だけを対象にしています。
肥前吉田焼はいつ始まった?
嬉野市は天正5年(1577年)の磁鉱石の発見、組合は慶長3年(1598年)に鍋島直茂が朝鮮陶工を吉田へ送ったことを始まりとして説明しています[5][1]。
嬉野市は、肥前吉田焼が天正5年(1577年)の磁鉱石の発見により始まったと説明しています[5]。佐賀県の観光サイトも、天正5年(1577年)頃に始まったと紹介しています[6]。
一方、肥前吉田焼窯元協同組合は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮陶工を連れ帰った鍋島直茂が、慶長3年(1598年)にそのうちのひとりを吉田へ送り、陶磁器を作らせたと説明しています[1]。どちらを始まりとするかは、このページでは判断を保留しています。
組合によると、享和年間(1801〜1804年)には事業が拡大し、食器などの生活雑器を中心に繁栄しました[1]。明治時代には旧士族を中心に陶器製造会社「精成社」が設立され、中国や朝鮮へ販路を広げたとされます[1]。
肥前吉田焼にはどんな器がある?
組合は飯碗・湯のみ・そば猪口・急須・土瓶を代表的な製品に挙げ、水玉模様の急須や湯のみを代表的な商品のひとつとしています[1]。
肥前吉田焼窯元協同組合は、飯碗・湯のみ・そば猪口・急須・土瓶を代表的なラインナップとしています[1]。昭和の食卓を思わせる水玉模様の急須や湯のみは、代表的な商品のひとつと説明されています[1]。
組合によると、戦後は特産の嬉野茶を生かした茶器の製造が多くなりました[1]。組合は嬉野茶について、永享12年(1440年)に明の陶工が不動山皿屋谷で自家用に栽培したのが始まりといわれると紹介しています[1]。
与山窯は、手塩皿、いげ皿、鍋、平丼・平碗、そば猪口などを製品として紹介しています[7]。組合のサイトでは、デザインコンペティションの応募167点から選ばれた10作品を商品化したと紹介しています[8]。
肥前吉田焼はどうやって作られる?
組合は、原型から石膏型を作り、機械ろくろや鋳込みで成形し、素焼き・絵付け・釉掛けを経て1300℃で本焼成する工程を紹介しています[2]。
組合の製造工程の説明では、作りたい製品の原型を作り、見本型・ケース型・使用型と試作を重ねて石膏型を用意します[2]。成形は、石膏型を回しながら鉄製のヘラで削る機械ろくろや、泥漿を型に流し込む排泥鋳込・圧力鋳込で行います[2]。
成形した生地は900〜920℃で素焼きし、染付や転写で絵付けをして釉薬を掛けます[2]。本焼成は1300℃で、上絵を付ける製品はさらに800℃前後で焼成します[2]。
組合は、陶土屋、型屋、生地屋、窯元のほか、上絵付けや茶こしなどの細かいパーツを作る職人がかかわると説明しています[2]。どの窯元がどの工程を担っているかは、今回の資料では確認できていません。
肥前吉田焼の窯元・施設はどこで確認できる?
組合が運営する肥前吉田焼窯元会館で、各窯元の代表的な商品の展示販売と、絵付け・手びねり体験が行われています[3]。窯元ごとの訪問条件は未確認です。
肥前吉田焼窯元会館は、8時30分から16時30分まで営業し、体験の受付は9時から15時です[3]。休みは年末年始の12月29日から1月1日と案内されています[3]。
組合のサイトのトップページには、副武製陶所、副千製陶所、江口製陶所、新日本製陶、辻与製陶所、ヤマダイの名前が載っています[4]。嬉野市の説明する15の窯元のすべては、今回の資料では確認できていません。住所は市までにとどめ、所在地を確認できなかった窯元は未確認としています。
| 名称・場所 | 見られる・買えるもの | 訪問のしかた | 公式 |
|---|---|---|---|
| 肥前吉田焼窯元会館 嬉野市 | 組合運営の展示販売・体験施設 各窯元の代表的な商品の展示販売、絵付け・手びねり体験[3] | 8時30分〜16時30分(体験受付9時〜15時)、休み12月29日〜1月1日[3] | yoshidayaki.jp |
| 与山窯 嬉野市 | 窯元 手塩皿、いげ皿、鍋、平丼・平碗、そば猪口[7] | 未確認 | shop.yozan-tsujiyo.jp |
| 副武製陶所・副千製陶所・江口製陶所・新日本製陶・辻与製陶所・ヤマダイ 未確認 | 窯元(組合サイトに掲載) 未確認 | 未確認 | yoshidayaki.jp |
肥前吉田焼の急須や湯のみの手入れは、何を確認する?
電子レンジ・食洗機の可否や手入れの方法は、産地全体として定めた資料を今回確認していません。製品の表示と窯元の案内を確認します。
肥前吉田焼の製品には、上絵を800℃前後で焼き付ける工程を経るものがあります[2]。同じ産地の器でも、絵付けの方法や急須の茶こしなどの部品によって、扱い方の注意は変わりえます。
手元の器は、付属の表示や販売店・窯元の案内を先に確認します。電子レンジや食洗機の確認手順、急須の茶こしの手入れは、手入れのページで製品の表示を確認する方法とあわせて説明しています。
よくある質問
出典
- 1肥前吉田焼とは肥前吉田焼窯元協同組合・2026年9月15日確認
- 2製造工程肥前吉田焼窯元協同組合・2026年9月15日確認
- 3肥前吉田焼窯元会館肥前吉田焼窯元協同組合・2026年9月15日確認
- 4肥前吉田焼肥前吉田焼窯元協同組合・2026年9月15日確認
- 5うれしの特産品あれこれ嬉野市・2026年9月15日確認
- 6肥前吉田焼・志田焼のこと佐賀県文化観光連盟(あそぼーさが)・2026年9月15日確認
- 7ABOUT与山窯・2026年9月15日確認
- 8商品紹介肥前吉田焼窯元協同組合・2026年9月15日確認
確認できていないこと
- 嬉野市の「15の窯元」が何年時点の数か未確認。15窯元の名称と所在地の一覧は確認できていない。
- 組合サイトに名前がある6窯元の所在地・製品・訪問条件・公式サイトは未確認。
- 窯元ごとの電子レンジ・食洗機の可否や使い始めの案内は確認していない。
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