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大堀相馬焼とは|特徴・器の種類・窯元

情報の確認日 2026年9月15日編集部

大堀相馬焼は、元禄年間に福島県浪江町の大堀で始まった焼き物で、青ひび・二重焼・走り駒を特徴とします[1][2]。2011年の原発事故で大堀地区は帰還困難区域となり、浪江町の窯元一覧(2026年9月14日更新)では10の窯元が県内各地などで再開しています[1][4]

大堀相馬焼の特徴と例外(2026年9月15日に浪江町と大堀相馬焼協同組合の公式ページで確認)
くらべる点特徴例外・製品による違い根拠
始まり元禄年間、相馬藩の大堀村で半谷休閑が下僕の左馬の技術を見込み、地元の陶土で茶碗を作り駒絵を描いて売り出した組合は「発祥と言われます」と伝承として説明[2]
国の指定1978年に伝統的工芸品に指定指定の月日は経済産業省の資料で未確認[2]
青ひび熱膨張の異なる2種類以上の釉薬をかけることでできる模様組合は青磁釉薬の誕生を江戸末期と説明[1][2]
二重焼内側と外側で2つの器を重ねた構造明治末期に陶工の坂本熊次郎が考案したといわれる。二重焼でない製品もある[1][2]
走り駒狩野派の筆法といわれる馬の絵柄駒絵専業の絵付師もいたと組合が説明[1][2]
産地の現状大堀地区は震災後に帰還困難区域となり、窯元は町外へ避難した浪江町の一覧では再開した窯元10軒が浪江町・福島市・郡山市などに所在[1][2][4]

このページで確認できること

  • 大堀相馬焼の始まりと、青ひび・二重焼・走り駒の説明
  • 震災後の窯元の避難・再開と、浪江町での拠点の変化
  • 浪江町の窯元一覧(2026年9月14日更新)に載る窯元の所在地

大堀相馬焼はどこで、いつ始まった?

元禄年間に、相馬藩の大堀村(現在の福島県浪江町大堀)で始まったとされます[1][2]。浪江町は300年以上の歴史を持つ特産品と紹介しています[1]

大堀相馬焼協同組合は、元禄年間に相馬藩の大堀村で、半谷休閑が下僕の左馬の製陶技術を見込み、地元の陶土で茶碗を作って駒絵を描き売り出したのが発祥と言われると説明しています[2]。浪江町は、元禄年間から300年以上の歴史を持つ町の特産品としています[1]

組合によると、現在の特徴である青磁釉薬が生まれたのは江戸末期と言われます[2]。二重焼は、明治末期に坂本熊次郎という陶工が考案したと言われています[2]

組合は、大堀相馬焼が1978年に国の伝統的工芸品の指定を受けたと説明しています[2]。浪江町の資料では、震災前の大堀地区では20軒以上の窯元が伝統を守っていたとされます[5]

大堀相馬焼の年表(大堀相馬焼協同組合・浪江町の説明による)
出来事根拠
元禄年間相馬藩の大堀村で、半谷休閑と左馬による茶碗が発祥と言われる[2][1]
江戸末期青磁釉薬が誕生したと言われる[2]
明治末期陶工の坂本熊次郎が二重焼を考案したと言われる[2]
1978年国の伝統的工芸品に指定[2]
2002年(平成14年)浪江町大堀に「陶芸の杜おおぼり」が開業[5]
2011年東日本大震災と原発事故。大堀地区は帰還困難区域に指定され、窯元は避難[1][2]
2012年二本松市に仮設工房を開設[2]
2021年3月浪江町内に「なみえの技・なりわい館」が完成し、組合が事務所と工房を設ける[2][3]
2023年陶芸の杜おおぼりの再開にあわせ、陶器市「大せとまつり」が13年ぶりに復活[6]
2024年4月11〜13日陶芸の杜おおぼりで登り窯の本焼き(主催は組合)[5]

青ひび・二重焼・走り駒とは何?

青ひびは熱膨張の異なる釉薬でできる模様、二重焼は内側と外側の2つの器を重ねた構造、走り駒は狩野派の筆法といわれる馬の絵です[1]

浪江町は、青ひびを2種類以上の熱膨張の異なる釉薬をかけることでできる模様と説明しています[1]。器の表面に出るひびの模様で、使っているうちに器が割れてできるひびとは成り立ちが異なります。

二重焼は、内側と外側で2つの器を重ねる構造だと浪江町は説明しています[1]。町は保温性に優れるとしていますが、形や大きさは製品ごとに異なり、すべての製品が二重焼というわけではありません。

走り駒は、狩野派の筆法といわれる馬の絵柄です[1]。組合によると、駒絵を専門に描く絵付師も生まれました[2]

震災後、大堀相馬焼の窯元はどこで作っている?

浪江町の窯元一覧(2026年9月14日更新)では、再開した10の窯元が浪江町・二本松市・福島市・郡山市・白河市などに所在しています[4]。組合は浪江町の「なみえの技・なりわい館」にあります[3]

組合によると、2011年の東日本大震災後に大堀地区は帰還困難区域に指定され、窯元は避難しました[2]。2012年に二本松市に仮設工房を開き、2021年3月に浪江町内に「なみえの技・なりわい館」が完成しました[2]

浪江町は、窯元が福島県内の新天地で活動を再開したと説明し、2023年3月に避難指示が解除となったとしています[1]。町の窯元一覧(2026年9月14日更新)には再開した10の窯元が載り、陶吉郎窯と錨屋窯は浪江町と他市の2か所が書かれています[4]

浪江町の2025年6月の記事では、6月7日・8日に陶芸の杜おおぼりで陶器市「大せとまつり」が開かれ、5つの窯元が参加したと紹介しています[6]。大せとまつりは、2023年に陶芸の杜の再開にあわせて13年ぶりに復活したとされます[6]

大堀相馬焼の窯元・施設(2026年9月15日に浪江町の窯元一覧〔2026年9月14日更新〕・組合・浪江町の記事で確認)
名称・場所見られる・買えるもの訪問のしかた公式
大堀相馬焼協同組合(なみえの技・なりわい館内) 浪江町産地組合の事務所・工房 大堀相馬焼の販売、陶芸体験[3]10時〜17時、休み火・水曜[3]
陶芸の杜おおぼり 浪江町(大堀)産地の施設 登り窯の本焼き(2024年4月)、大せとまつりの会場(2025年6月)[5][6]通常の開館日は未確認
陶吉郎窯 浪江町・いわき市窯元 未確認未確認
錨屋窯 浪江町・白河市窯元 未確認未確認
休閑窯 二本松市窯元 未確認未確認
松永窯 西郷村窯元 未確認未確認
春山窯 本宮市窯元 未確認未確認
栖鳳窯 矢吹町窯元 未確認未確認
勝義窯 大玉村窯元 未確認未確認
半谷窯 福島市窯元 未確認未確認
近徳京月窯 福島市窯元 未確認未確認
陶徳窯 郡山市窯元 未確認未確認

大堀相馬焼の二重焼の湯のみなどの手入れは、何を確認する?

電子レンジ・食洗機の可否や手入れの方法を産地全体として定めた資料は、今回確認していません。製品の表示と窯元の案内を確認します。

二重焼は内側と外側の2つの器を重ねた構造で、ひとつの器を焼いた製品とはつくりが異なります[1]。表面の青ひびも、釉薬の熱膨張の違いでできる模様です[1]。こうした構造や模様の違いによって、洗い方や加熱の注意は製品ごとに変わりえます。

手元の器は、付属の表示や窯元・組合の案内を先に確認します。電子レンジを使えるかの確認手順や、ひびの模様に入った汚れの扱いは、手入れのページで説明しています。

よくある質問

大堀相馬焼は今も作られていますか?
浪江町の窯元一覧(2026年9月14日更新)には、再開した10の窯元が載っています[4]
大堀相馬焼はどこで買えますか?
大堀相馬焼協同組合は浪江町の「なみえの技・なりわい館」内で製品の販売や陶芸体験を行い、営業は10時から17時、火・水曜休みと案内されています[3]
大堀相馬焼の馬の絵には意味がありますか?
走り駒と呼ばれ、浪江町は狩野派の筆法といわれる絵柄と説明しています[1]。絵の意味を説明した公式の記載は、今回確認できていません。
二重焼はいつからありますか?
組合は、明治末期に陶工の坂本熊次郎が考案したと言われると説明しています[2]
大堀相馬焼は伝統的工芸品ですか?
組合は、1978年に国の伝統的工芸品の指定を受けたと説明しています[2]

出典

  1. 1
  2. 2
    歴史について大堀相馬焼協同組合・2026年9月15日確認
  3. 3
    大堀相馬焼協同組合(なみえの技・なりわい館内)なみえ観光サイト・2026年9月15日確認
  4. 4
    大堀相馬焼窯元一覧浪江町・2026年9月15日確認
  5. 5
  6. 6
    令和7年6月「まちの話題」浪江町・2026年9月15日確認

確認できていないこと

  • 伝統的工芸品の指定(1978年)は組合の説明で確認。東北経済産業局のページは403で開けず、指定の月日は未確認。
  • 浪江町の窯元一覧の10窯元それぞれの製品・訪問条件・公式サイトは未確認。
  • 避難指示解除(2023年3月)が大堀地区のどの範囲にあたるかは、町の説明の範囲でしか確認していない。
  • 陶芸の杜おおぼりの通常の開館日・訪問条件は未確認。大せとまつり2026の開催は未確認。
  • 二重焼の製品の電子レンジ・食洗機の可否は確認していない。

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